こんにちは、えあーです。
さっきそんなツイートをした。
もちろん私だって嫌いな人はいる。
でもそんなにいない気がする。
人を嫌うことでエネルギーを消費するのが無駄に感じるからだ。
ということでそう思う理由とかをもう少し詳しく話していく。
1. 「嫌いだ」と考える必要がある
例えばあなたがAさんのことを嫌いだとする。
そういう場合、おおよそAさんとあなたは関わりがあるはずだ。
芸能人などであれば直接関わりがあるわけではないが、テレビなどで見かけることがあるはずだ。
そして、あなたの視界にその嫌いなAさんが入ると、あなたは嫌いな人だという感情を抱く。
その後、おそらく一定のストレスを受けるはずだ。
……無駄じゃね?
そりゃストレスを感じることなんて世の中たくさんありますよ。
でも減らせるストレスは減らしていけばいいと思うのですよ。
2. 関心を持たないのが楽
なので、私は嫌いと考えず、できるだけ無関心になることを心がけます。
興味のない人間であればそのまま興味を一切持たないようにするのです。
もし関わる必要性がない人間であれば、この人はこういう人だから私とは世界が違うと割り切って、
相手に興味を示さなければ無駄なエネルギーを消費せずにすみます。
どうしても関わる必要のある人だとかなり大変なことになりますが、
そういう場合はできるだけストレスを受けないようにするしかないです。
幸いにも私は今の所酷いストレスを受け続けるようなことは…記憶にはないです。
記憶にないだけで、実は記憶から消している可能性はありますけど。
3. できるだけ”人”を嫌いにならない
もう一つは、できるだけ人そのものを嫌いにならないようにすることです。
人そのものを嫌いにならなければ、受けるストレスを減らすことは可能なはずです。
たとえば「この人のここは嫌い」と、部分的に嫌いになるにとどめておけば、
先の例のようにその人を見かけただけでストレスが積もりに積もるようなことは防げるはずです。
また、ほとんどの人にはさすがに何らかのいい点があるはずです。
そういういい点をなにか見つけられるようになれば、人そのものを嫌いにならなくなる可能性は高まると考えています。
まとめ
私個人の話ですが、できるだけ上のようなことを考えてる(または自然にそうしている)と思います。
無関心は一番酷いというのも納得できる意見ですが、自分を守るための選択肢としては大いにありだと考えています。
あとは「人それぞれ」という考え方ですね。
自分と合わないから仕方ない、くらいで考えておくと気が楽です。
~余談コーナー~
はずはず言い過ぎな!
小学生の作文とかってこんな感じで語尾一緒になりますよね。
ちょっと直したけどまだ多いように感じるなぁ。
コメント