こんにちは、えあーです。
人間はそれぞれ個別に適したことがあるはずなので、
それに合ったことをしていけばいいと思っています。
(画像がちょっと違う気もするが気にしない)
日本では特に「全部やること」の風潮が強いと言っている人もいます。
海外「あなたはこれが得意だから、これをやってね! 苦手なこれは別の人に任せるね!」
日本「あなたはこれが苦手だから、これができたらなんでもできるすごい人になるね!」
どちらも言いたいことはわかるのですが、効率を考えれば明らかに前者ですね。
効率だけが全てじゃないと言われればその通りなんですけどね。
なので、私は苦手なことは最低限、得意なことを伸ばしていくというのが社会を作る上で大切だと思っています。
苦手なことは得意な人に任せればいい。
力仕事が苦手なら、力仕事が得意な人に任せる。
頭を使うことが苦手なら、それが得意な人に任せる。
料理が苦手なら、料理が得意な人に任せる。
〇〇のことは〇〇のプロに任せる。
それでいいように思います。
でも、任せっきりだとまずいでしょとか、それはあると思います。
そこで登場するのがお金です。
やってもらった行為に対する報酬を支払うような仕組みは既にあるのですから、これを活用すればいいのです。
お金は停滞すると経済が止まるといいます。
例えばAさんとBさんがいて、二人とも何もしない場合を考えます。何も起きません。
それに対して、以下のような例を考えます。
AさんがBさんに1000円を払い、料理を作ってもらいました。
その後、BさんがAさんに1000円を払い、洗濯をしてもらいました。
ここで、お金の動きだけ見ると何もしていないのと全く変わりません。
しかし、Aさんは料理という利益を、Bさんは洗濯という利益を得ました。
これが(超単純な)経済です。
お金を回すことで、このように利益が回るわけですね。
さて、このお金をつかうことでプロに任せるという仕組みは(難しいにせよ、理想論的には)なんとかなりそうです。
次に問題になるのが、得意なことがちゃんとあるのかです。
……さて、本当に全く取り柄のない人というのはいるのでしょうか。
例えば上位10%に入れるような「なにか」を、全く持ち合わせていない人はいるのでしょうか。
さすがに本当になにもないという人はそうそういないのではないでしょうか。
その物事に対する需要というものはありますが、それを考えなければほとんどの人になにかがあるはずです。
本当に何もない人に向けては、社会保障というものもあるでしょう。
ということを踏まえれば、やはり適材適所というのは大切なんじゃないかと思います。
得意なことをしている方が人間楽しいですし、やはり効率面でも優秀であると考えられます。
最終的に何が言いたいかというと、
苦手なことをやらされたくない。以上です。
……うーん。話題がずれてる気がするな。
雑談なのでこんなもんで許してください……
コメント