【雑談】いろいろなことを考えすぎる人の話

こんにちは、えあーです。
今日は「いろいろなことを考えすぎる人の話」です。

「考えすぎる」とはどういうことなのかと言うと、
例えば「あり得る可能性を広く模索できる」ということですね。

例を挙げると「こういう事があれば、こういうことができる」など、他の人よりも幅広い思考が生まれます。
もちろんなかなか思いつかないような妙案も出てきやすいと言えます。
実際生活の中でもメリットがあると思うことは多いです。

しかし、逆に悪いことに対しても頭が回ってしまうというデメリットが。

適当な例を挙げましょう。

先日、大阪北部地震がありました。
私はまさに大阪北部に住んでおり、震度5弱か震度5強の揺れのあった地域です。
正直結構揺れました。
その時は特に物的被害や怪我も無かったので、大丈夫だったんですけど、、、

その後、すごくメンタルに来ました。

後に精神科に一度電話したレベルで精神に来ました。
実際にはその時電話に出なかったので後でかけなおそうと思ったらマシになったのでそのままにしましたが。

さて、こうなってしまったプロセスが今回のメインの話題なわけですが、
先に述べたとおり、様々な可能性を模索できるということです。

まずは余震の発生可能性。
あれが本震ではなくもっと大きいのが来る可能性がある、というのはTwitterでも騒がれました。
もちろんその可能性は重々承知です。
地震はタイミングを選んでくれません。なので、「ここで地震が来ると死ぬ」ような場所に近づくのがしばらくできませんでした。
落下しそうなものや転倒しそうなものとかですね。
あとは単純に揺れに対する恐怖。
あれ以上の揺れが来るのかと思うと気が気じゃない。自宅でも安心はできませんでした。

現在ではもう余震は落ち着いてはいるものの、その時の影響はまだまだ残っています。
今でも「今揺れたらどうしよう?」みたいな感覚は根強く残っています。
それからいろいろあったこととしては

  • 部屋にある金属ラックを捨てた
  • 頭より高い位置にあるものを全部軽いものにした
  • 古い木造建築物に入るのが怖くなった
  • 僅かな揺れにも反応しがちになった

……などなど、ちょっと書ききれないレベルでいろいろあります。
逆に言えば最悪を想定して動けているとプラスに捉えることもできますが、精神的な疲弊がすごいです。
古い木造建築物というと、静岡にある祖父母宅も当てはまるので正直もう親の帰省についていきたくないという感情が湧いています。
あそこにいるときに万が一南海トラフ巨大地震が起きようものなら9割死ぬと思ってます。

まぁ地震の例は一例ですが、他にもいろいろなところで考えすぎだと思うようなことはあります。
実際親とかにも「お前は考えすぎだ」とよく言われたりします。

ただ私は考えることでしか動けなくなってしまったかもしれません。
そういう状況なので、考えないことを意識しないと自然に考えてしまいそうです。

……うまく折り合いをつけるしかなさそうですね。

もし周りに不必要に考えすぎな人がいたら、責めないように思考ペースを落とすように伝えてあげてください。
きっとその人の心は少しでも救われると思います。

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